アーティスト

音楽と社会変革:アーティストたちの抗議のペン

逆境が訪れているときほど、クリエーターは作品を創ります。私たちが自身の権利のために戦うとき – たとえそれが人種差別、貧困、政治、弾圧に対してでも – 沈黙というオプションは存在しません。音楽は私たちに気付きを与え、団結させる強力な手段であるのと同時に、私たちへ喜びをもたらしてくれるものでもあります。あなたにも伝えられるメッセージがあり、世界を変える力があるのです。

スピンナップは、自分自身の不満や情熱を音楽で表現するアーティストを応援します。 世間が最悪な状況を突きつけてくるとき、人々はミュージシャンに対し、そういった状況を取り上げて芸術に昇華してくれることをいつの時代でも求めています。この記事では、そのような活動を行うアーティストとその革新的な楽曲に敬意を払い、彼らが歩んできた道を探り、混沌とした時代を音楽でエネルギーに変える方法についてひらめきを与えるエピソードを紹介したいと思います。

Hemi Moore(ヘミ・ムーア)– When?

ヘミ・ムーア(本名:Levert Kelvin Kachingwe)は、より良い生活を求めて13歳でジンバブエからイギリスに移住しました。 サウスエンド=オン=シーで過ごした10代の頃に、ピアノや音楽制作に没頭し、自分の作品を人々と共有できる日を思い描いていました。

「When?」は、George Floyd(ジョージ・フロイド)の死からわずか2週間足らずで書き上げられ、録音されたものです。この曲は、プロデューサーのDominic James(ドミニク・ジェームズ)とBrookfield(ブルックフィールド)とのZoom会議を通してムーアのベッドルームで制作されました。Spinnupから配信され、このシングルの売上はすべて Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)を支援する反人種差別チャリティに寄付されました。

「いつになったら終わるのか?」とヘミ・ムーアは、ラグンボーン・マン(Rag’n’Bone Man)スタイルのパワフルでパンチの効いた声で正義を叫びます。生まれるべくして生まれたこの曲は、なぜ人種差別が私たちの社会構造に絡み合っているのかと問いかけます。「私たちは2020年に生きているにもかかわらず、いまだに祖父母らが戦っていたのと同じものに対して抗議している、という現実にとても混乱している。」とムーアは語っています。

ヘミ・ムーアは、Instagramでも次のように述べています。
「この曲を書くのはこれまでやらないといけなかったことの中で一番難しいことの一つだった。作曲者人生で、自分がこんなことをやることになるとは考えもしなかった。心と魂をこれに捧げた。黙っているわけにはいかない。」

When?」のミュージックビデオをチェックしてみてください。

John Lennon(ジョン・レノン)– Imagine

その平和への嘆願が最初に聞こえたのはほぼ半世紀前。今でも「Imagine」のメッセージには当時と同じ力があります。1971年初頭のある朝、ジョン・レノンは英国のアスコットにある自身の快適なベッドルームで、白く塗られたスタインウェイピアノによるたった1回のセッションで「Imagine」をほぼ完成させました。

この名曲の歌詞は、オノ・ヨーコの著作である「Grapefruit」の中の詩や、「雲が滴り落ちることを想像する。その雲を入れる穴を自分の家の庭に掘る。」から始まる、同じくオノ・ヨーコによるコンセプチュアルアート「Cloud Piece」から大きく影響を受けています。 コメディアンであるディック・グレゴリーがレノンに送った前向きな祈りの本も、この曲の歌詞にインスピレーションを与えました。

優しい言葉で巧みに包まれた反体制的なメッセージを、平和なCメジャーキーのピアノに乗せて歌うことで、この曲は世の中に広く受け入れられるています。レノンは言いました。「今しなければならないことは、優しい言葉であなたの政治に対する意見を伝えることです。」

「Imagine」は、レノンのソロ活動において最も成功した楽曲の1つであり、世界で最も影響力のある楽曲の1つでもあります。「Imagine」は世界中のアーティストによってカバーされ、演奏されており、世界平和の賛歌であり続けています。

Bob Marley(ボブ・マーリー) – Redemption Song

ボブ・マーリーは自らの周りの世界だけではなく、自身の個人的な生活においても困難を経験してきました。貧困の中で育ち、暗殺の危機や癌との闘いにもさらされましたが、それでも彼は貧しい人々と抑圧された人々のために発言し続けました。

生前最後にレコーディングされた「Redemption Song」は、彼の最高傑作のひとつであると同時に、ジャマイカ音楽史において最も影響力のある作品の1つとされています。

この曲が完成した時、ボブ・マーリーはすでに癌と診断されており、自身の死についての楽曲を書いていました彼は苦しみ、死の淵にいましたが、それでもツアー、作曲、レコーディングをすることを止めませんでした。

彼の数あるアンセムの中でも、「Redemption Song」は私たちに、自らの心を精神的な奴隷の鎖から解放するよう説いてきます。その尊いメッセージの数々は、パンアフリカ主義の雄弁家マーカス・ガーベイによる下記のスピーチに由来します。

「精神的奴隷から自らを解放しよう。自らの心を自由にできるのは自分自身しかいない」

同曲の歌詞は、同様のコンセプトに触れた曲を書いた伝説的シンガーであるジェームス・ブラウンなど、米国とジャマイカのアーティストからもインスピレーションを得ています。

「Redemption Song」は、ボブ・マーリーの他の楽曲とは異なります。ギターとボーカルだけによる、スピリチュアルな一切飾りのないフォーク・ソングです。 アイランド・レコードのクリス・ブラックウェルによる、いかなる飾りも必要ないという信念に基づいた生々しいプロダクションには多大なるインパクトを。Gメジャーの曲調は希望に満ちた高揚感をもたらしました。

Kendrick Lamar(ケンドリック・ラマー) – Alright

リック・ルービンに「私たち世代のプロテスト・ソング」と称され、 2019年にPitchfork(ピッチフォーク)が2010年代のベストソングとしての称号を与えた、 ケンドリック・ラマーのキャッチーなプロテスト・アンセム「Alright」を、今回ご紹介しないわけにはいかないでしょう。

「Alright」は、アメリカのマイノリティが銃撃による不当な死を経験した2015年にリリースされました。(皮肉にも、良く聞く話ではないでしょうか? )

「We gon’ be alright!」
数々の抗議活動でこのフレーズが叫ばれれ、「Alright」はブラック・ライヴズ・マター運動のサウンドトラックになりましたが、その背景には大きな苦しみと困難がありました。

ファレル・ウィリアムスがジャジーなビートを仕上げてから6か月近く経っても、ケンドリックはそのビートにふさわしいリリックを見つけることができませんでした。 そこから数週間、 ファレルとA&Rエグゼクティブのサム・テイラーから発破をかけられ、更にファレルが繰り出したキャッチーなフックからインスピレーションを受け、ついに言葉が溢れ出ました。 ケンドリックは、「Alright(大丈夫)」というシンボリックな言葉とともに残りの歌詞に拍車をかけながら、「Alright」とは何を表現しているのか」と自問しました。この曲は幾千もの道を歩んでこの形になったとも言われています。

「Alright」のリリックは、黒人が何百年もの間アメリカ全土で抱えていた苦しみを体現しています。 このリリックの作成には、「彼らの闘いのほうが10倍も苦しい」とも述べた、さまざまな人々に立ちはだかる問題を目撃した彼の南アフリカへの旅が影響を与えています。また、楽曲の終わりに向けては、かつて彼自身がホテルの部屋でかつて抱えていた彼自身の闘争と、自殺願望について語られています。

「Alright」は、彼自身、および彼の周囲の人々の闘争の中で、希望を高らかに語り、かつ、どのようなことを経験しても「私たちは大丈夫だ」ということを思い出させてくれるアンセムなのです。

M.I.A(エム・アイ・エー) – Paper Planes

今回最後にご紹介する曲は、難民からポップスターになった、活動家であるマータンギ・”マーヤー”・アルルピラガーサム(別名エム・アイ・エー)による有名曲「Paper Planes」です。スリランカ内戦の苦難と難民としての生活の中、音楽は彼女の癒しでした。

彼女は、自分の米国ビザを復活させる際の苦難を受けて、非常にキャッチーな「Paper Planes」を書きました。彼女は米国国土安全保障局の要注意人物リストに載るほどの「略歴」でしたが・・・それでも、他の市民と同じように、彼女は働き、生き残ることを望んでいただけでした。彼女は「国境の警備をかわし、偽のビザを作ってお金を奪う」という(架空の)ストーリーついてラップすることで、一部のアメリカ人が第三世界の国々からの移民について抱いている認識を風刺しています。

「Paper Planes」のプロデューサーであるDiploは、The Clashの「Straight to Hell」のサンプルループからトラックを構築するというアイデアを閃きました。元ネタとなったこの曲も、英国と米国による第三世界からの移民への不適切な扱いをテーマにしています。

このサンプルは、ワールドミュージックのエッセンスに加え、強烈なポップフックと組み合わされました。エム・アイ・エーはある朝、1回のテイクでリリックを思いつき、 Wreckx-N-Effectの「RumpShaker」に触発されたコーラスは、彼女がスタジオに招いたブリクストンの街中にいた子供たちによって歌われ、残りの部分は、ブルックリンのベッドスタイにある自宅で録音されました。彼女は銃声とレジの音をSEとして使用しましたが、それが何を意味するのかはリスナーに解釈を任せています。

この曲はもしかしたら世に出なかった可能性もありました。Diploは彼女と激しく言い争った際、この曲のデモが入ったハードディスクを最上階から放り出されてしまいましたが、そのディスクはディプロが乗り込もうとしていたタクシーのトランクに着地するという、なんともラッキーな奇跡が起こっているのです。

金融危機と移民に関する問題がとりだたされた時期にリリースされた「Paper Planes」は、13年の時を経てもこの世界の問題と関わっています。 建物の上から放り投げられても生き残っただけにとどまらず、すべてのトラックと同じく時の試練を乗り越えたのです。

問題や原因について決して沈黙せず、あなたの音楽をあなたの声として使い、世の中に意見を発信していきましょう。 これからよりいっそう生きづらい世の中になるかもしれませんが、私たちは継続的なサポートとSNSコミュニティ(@spinnup_jp)を通じて、あなたの音楽をできる限り簡単にリリースできるよう研鑽していきます。

このテーマで紹介するべき楽曲が他にあれば、ぜひお知らせください!